いせやんのブログ

いせやんのちょっとだけならイイやん?

僕なりに『好き』という感情について真剣に考えてみた

先日R.K新年会に参加させていただき、普段Twitter上で触れている情報の発信者たちと直で恋愛に対する考え方を共有しあった。

恋愛工学の門を叩いてから早四年弱が経過し、 SNSを通じて様々な男女の恋愛に対する考え方に触れてきた。一時期はナンパ師の即報に憧れて(一種の趣味として)、貪るようにブログやTwitterを読み漁った。

ナンパで即(数)を究極なまでに追い求めた結果、人間の心を失ってしまうなんて言われたりしていますが、恋愛工学に出会って僕は実際どうなったのだろうか?と、ふと考えた。

いせやんという人間は、タカシさんのようなα感はないし、カルジさんのように緊縛もできないし、パロ鍋さんやヒデヨシさんのように人を引き付ける文章を書けるわけでもない。
女性の経験人数なんかは高々10人を少し超えたところです。

それなのになぜかある時から人の事を好きになれなくなってしまっていた。彼女が全くいない時も、彼女が出来てからも、街行く可愛い子に対して『抱きたい!!』という感情は男して正常に込み上げてくるのに対して、1回、場合によっては2~3回体を重ね合わせた後の僕の心はその女の子たちから離れて行った。

「セックス」と「こころ」の厄介な関係。 - 俺の遺言を聴いてほしい




その理由がどこにあるのかと自己分析した結果、真の自己を開示しなくなった』ことにあると言うことに気付いた。
※パーソナルな情報を伝えないという意味ではありません。
非モテコミット(オンリーワン中毒)とは、サックスをしていない1人の女性に対して、この人が自分の運命の人だ。と一方的に入れ込んでは行けないという教えが恋愛工学やミステリーメソッドにありますが、僕が女性とそれとなく対峙出来るようになったのは、まだサックスしていない男女が出会った時に、男としてしてはいけない事をしないように意識して来ました。
 
 
適度に褒めつつも、適度にからかう。(僕はdisるというのは若干悪口の意味合いがある気がしています。)
話す内容は何でも良くて、ただただ相手に気持ち良くなってもらえるように、顔をしっかりと見て、程よく相槌をし、聞くと話すの割合を7:3になるように徹底的に意識した。
過去の非モテなキャラを出さないように、出さないように。とにかくありのままの自分の姿を見せないようにしていた。
 
『モテの形』は色々あれど、その結果自分なりの女性と対峙する方法を身につけた代償としてか、人を好きになることが出来なくなっていた。
こんな事言ったら幻滅されるんじゃないか、あんな事言ったら嫌われるんじゃないかと。本当の俺はこんなキモい事したりするんだよって。



以前、女性を好きになるという感情が分からない事に悩んでいたいせやんに対して、マフティさんから温かいお言葉を頂戴した。

 
 
 
サックスが出来な過ぎて、『なんて不遇な人生なんだ』と思い詰めていた男が、サックスが出来る=幸せではない。という現実に直面しあぐねいた。少なくとも男にとっては、サックスがなければ満ち足りた幸せは訪れないかもしれないが、サックスだけが出来ても幸せにはなれない。非常に難しい問題だ。
 
 


いつ、誰を信じたら(コミットすれば)いいのか?
切っても切れない恋愛工学生、ナンパ師の悩みの種である。
 
 
クリスマス前の駆け込み彼氏・彼女作りによって起きた男女の物語について、リンクさんというナンパ師の方のブログを一部抜粋させていただくと、
彼女には苦しい思いをさせてしまった。きちんと現実と向き合っていればこんな事にはならなかった。
でももし、彼女の事を100%信じて、心から好きで居たならば。ちゃんと彼女だけを見ていたら。例え、寂しさらからの恋だったとしても未来は大きく変わっていたのかも知れない。
正直とても辛い。少しの間だったが大切な時間もお金も彼女に費やした。あのタイミングだっただけに、やはり彼女には裏切られた気持ちはある。けど一緒にいた時間、楽しかったのも事実だ。
そして何より

「人と本気で向き合う事の大切さ」

を教えてくれた。
人を100%信じる事は難しい。とても怖い。辛い。苦しい。いつか裏切られるかもしれない。

けどきちんと向き合わなければその先はない。

引用元:このままでいいの? - ゼルダの伝説〜リンクの理想の彼女を探す旅〜

 

これに対して、キラキラ?の首領はというと、

 

ブタさんなどのキラキラアカだけでなく大抵の女性が嫌悪感を抱くであろう即ツイートについて、個人的な意見を言わせてもらうと、ナンパ師や恋愛工学生たちはTwitterの中毒性について自覚があっても一概にフォロワー欲しさだけで即報を上げている訳ではないと思う
同じ志というよりも色々な面で同郷のような存在の人たちとの仲間作り、もしくは切磋琢磨するライバルを作るためにTwitterをしていると思う。


『相手としっかり向き合う』ということは誰でも知っていることかもしれない。でも一般的に誰でも知っていると思われている事さえ僕は知らなかった。だから知りたかった。少なくとも知りたくないなんて人はいないはずだ。
確かに何十人との関係を築かなくてもそれは幾人かの人との関係を築く中で得られるかもしれない。でも僕らの根底にあるものはそんな生易しい物ではない。
うまく表現できないが、長年の惨めさと歯がゆさと無力さが生み出すコントラストは、1人の男を別の人間変えてしまう程の強い色合いだ。
 
 

 

恋愛工学と出会ってから、恋愛に対する考え方は大幅に変わった。それでも一人の女性と長期的な関係がなかなか築けないために得られなかった『相手としっかり向き合う』ということ経験するためには、コミットが必要なんだと痛感した。

話し合い、お互いに認め合う努力をすることの大切さ。真の人間関係は日々の地道なコミュニケーションの積み重ね無しには築くことのできない領域。だから僕は一人の女性を自分にとってのはぐれメタルに位置付けてみた。


自分の弱いところを見せる。ある意味、男しては見せちゃいけない姿かもしれない。それでも僕は深い関係を築ける女性に僕の事を1~10まで知ってもらいたい。ケツ毛がこんなに生えてるんかというところまで。。

 
強いいせやん・弱いいせやん、カッコイイいせやん・ダサいいせやん、みんなみんな僕の一面だ。どれが欠けても僕じゃないし、そんなに立派な人間じゃない。

カッコ悪くたっていいじゃないか。
だって人間だもの。

いせを